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「師走選挙に感動したお話」2012.12.18(火)

正直にいいます。わたしは、このたびの総選挙に大変感動しました。
このことを、選挙戦がまさにたけなわという12月10日、さいたま商工会議所での講演で、
こんな風に申し上げました。

こんなに多くの政党、沢山の候補者の皆さんが、本当に真剣に、この国の将来について、
この国がもっと良くなるにはどうしたらいいか、みんなが幸せになるには何が必要か、
ということを議論している。
わたしは、そのことにまず感動しました。
だれに投票するというのではなくて、そうか、そういう考え方もあるのか、
そういう見方もあるのか、と、国民の皆さんが色々学ぶいいチャンスだと思うんです。


講演では、そのあと、国のあり方も含めて意識改革や発想の転換が大事な時代になったという
お話をしました。

さて、総選挙です。
結果は、自民党の圧勝でした。
その時、ふっと、なぜか妙にホッとするものがあるなあ、と感じました。なぜでしょうか。
ふるさとへ帰ったような安堵感に似ている気分です。
この国の人々の心の底に流れつづけている政治的郷愁を、この政党は持っているのではないか。

実は、民主も維新も未来もみんなも大地も、源流はかつての“大自民”でした。
「ふるさと保守」というイメージが浮かびました。

この国の人々は、今、疲れ切っている。
いっとき、羽根を休めようとしたのかもしれません。人々が健康を取り戻すための選挙だったと
すれば、この国の民主主義はまだ“健康な民主主義”といえるのではないでしょうか。

疲れを誘った民主党政権は崩壊しました。

人々は、試行錯誤の政治に疲れたのです。政治に試行錯誤はゆるされません。

しかし、と、あえて言います。
「ふるさと保守」の閉塞から、時代の変革を担ったのは民主党でした。
試行錯誤を覚悟で進むしかなかったのです。

だから、今、あえて言います。
民主党の試行錯誤はムダではありませんでした。
そのことを正当に評価した上で、この国の進むべき道を模索するべきなのです。

ただし、もし安倍さんが選挙中に盛んにアピールしていたように、
大衆に耳ざわりのいい国家、国益、国力にひたすら特化する「国威発揚内閣」を
目指して、“お友達右翼”を寄せ集めた組閣をするようなことになれば、
折角の政権が、ひとりよがりのカラ回りと化して、この国の歴史の歯車を狂わせた
あの“いつか来た道”を再び辿ることになるでしょう。

安全運転がいい。
それだけでも並々ならぬ努力がいるのです。

蛇足ながらも、もう一点。
そういう意味で、地方自治体が自立した政治的存在として新たな変革の担い手に
躍り出るという道筋を精力的にさし示した橋下徹という政治家の力量は、あなどりがたく、
この国の民主主義にとって、油断のならない起爆剤となって行くのではないかという
予感がさらに一層、現実味を帯びてきたという点でも意味の深い選挙でした。

というところで、まずは、自公政権のお手並みを拝見しつつ、当方も、2012年の
しめくくりとさせて頂きます。

今年も様々な悲しい別れがありました。
そういう思いも含めて、年の瀬というのは、一段とセンチメンタルな気分になるものです。


「めまい症」という妙にノスタルジックな気分を伴う発作との付き合いもどうやら
年を越しそうです。

とはいえ、年賀状のメッセージは、大胆にも、Do try.ときめました。

まぁ、やってみなされ。


では、よいお年を!

                (この項、オワリ)



     copyright(c)ronpei.masui.2012
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メモリアル 11.15  2012.11.15(木)

だれもが自分にとって最も大事な日付を持っているように、
わたしにとっては11月15日がやはり特別な日になります。

わたしは昭和14年11月15日に生まれました。西暦でいうと1939年、
ヒットラーが第二次世界大戦を始めた年です。
その2年後に大日本帝国が真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まりました。

まあ、よく生き残ったものです。
戦争が終った翌年に小学校に入学しました。
その江戸川区立小岩小学校を昭和27年に卒業して、5才年上の従兄が通っていた
私立の開成学園中学高等学校に入りました。しかし、学業よりも大新聞並みの
ブランケット版2頁の校内紙「開成新聞」の編集に没頭します。
目一杯背のびして、いっぱしのジャーナリスト気取りでした。

にもかかわらず、どういうわけか浪人もせずに学習院大学政経学部に入り、
今度は弁論部で咆えまくりました。しかし、大学3年で遭遇した60年安保闘争の
挫折で、内向の時代に入ります。地獄のような恋の渦中にいたことも影響しています。
因みに卒業弁論のタイトルは「戯れに恋はすまじ」でした。

大学を卒業しても就職せず、2年間、わけのわからない流浪の日々を過ごしました。
この間、ひどい貧乏暮らしのわが家の家計から、わたしの学費を捻出するために
母がどんなに苦労したか、今でも目頭が熱くなります。
母は、わたしが必ず「大成する」と信じ続けてくれたのです。

幸い昭和39年4月、東京オリンピックの年にTBSのアナウンサー試験に合格しました。
当然ですが給料はあらかた母に渡しました。当人は、破綻した恋の傷をかかえながらの
入社でした。それから、マイクロホンに賭ける長い長い人生が始まります。

なんで、こんなことを書きたくなったのか。
おそらく、今日が自分の73才の誕生日だという、いささかセンチメンタルな気分のせいかも
しれません。

今年は、10月30日に、母校江戸川区立小岩小学校の開校130周年を祝う記念式典と
祝賀会が開催されました。わたしは、運営委員会副委員長の肩書で祝賀会の司会進行を
担当しました。

明治の昔、当時の小岩村に初めて小学校が開設された時、村人たちはお祭りさわぎで
喜んだそうです。
わたしは、「小学校というのは、だれにとっても、母校というよりも、四季折々に
包んでくれた風景と共にあるふるさとそのものなんじゃないでしょうか」と語りました。
樹齢100年を越える藤棚は今も子供たちを見守っています。

11月9日には、学習院大学卒業50周年の全学部合同同窓会が校内の百年記念館で
開かれました。
ここでも、発起人メンバーの一員として司会進行を担当しました。
冒頭で、わたしは、「50年というめまいがするような幾星霜の中で、それぞれの
皆さんが社会の第一線で、公私共に大きな足跡を残され、充実した人生を積み上げられたのちに、
こうして青春を共にした母校に集い、お元気に一堂に会する日を迎えることができたということは、
実に素晴らしいことです。わたしは、もうそれだけで胸がジンとしてきます。
今日は、一足先に旅立った友人たちの分まで、お互いに心をひとつにしてすごしましょう。」と
メッセージしました。

わたしたちの同期には、今、ジュネーブにいる国際赤十字連盟会長の近衛忠煇や、ローマにいる
作家の塩野七生がいます。

中学高校の6年間を共にすごした開成では、毎年6月に全員集合の同期会をやっています。
こちらの方はもう20年来、「座付き司会者」を毎年つとめていて、幹事さんが、
まずわたしのスケジュールを聞いてから、正式に日取りを決めるというありがたいことに
なっています。もっとも一度も休んだことはありません。

まあ、ざっと振り返ってみて、途中、今でもカミさんが「悪夢だ」という寄り道があったにせよ、
そんなものも含めて、無我夢中でやってきたことにあまりムダはなかったのかな、と
73才の日の今日、せめて少しは自分にやさしくしてやろうかと思ったりしているのです。



52才のこの日に、わたしは、
「体内の奥深くに、時を超えて、何人ものぼくが棲んでいる。」と書きました。

69才のこの日に、
「その中にひとり、「老人」を加えることになる。」と書きました。

73才の今日は、何を書きましょうか。
「気持ちは、はやるんだけどねぇ。からだが、ついてこねえんだよ。やれやれ。」
しかないね。



      ご退屈さまでした。


                  (この項 オワリ)














copyright(c)ronpei.masui.2012

「ドン・キホーテ」の憂国 2012.11.01(木)

セルバンテスの描くラ・マンチャの遍歴の騎士ドン・キホーテは、
「正さなければならない不正や取り除くべき弊害が世の中に満ちあふれている」
ことに心を痛め、「自分のようなあっぱれな騎士」にふさわしい正義の冒険を
実現しようと敢然として遍歴の旅に出発します。

「自分のような勇敢な騎士が物語の主人公となるために」まずは、騎士にふさわしい
名馬が必要です。彼は、自らの名馬にロシナンテという立派な名前をつけてやりました。
しかし実際は相当なやせ馬だったのですが、彼の目には名馬としか見えませんでした。

次に自分を心から尊敬し、誠実につき従う従者が必要です。
彼は、「正直者だが、ちょっとばかり脳みそが足りない」それでいて慾の皮だけは
一人前の近所の百姓サンチョ・パンサに、そのうちどこかの島を手に入れて、
お前をそこの領主にしてやろうと話を持ちかけ、その気になったサンチョ・パンサを
従者に仕立てて、いよいよ「末代まで歴史に名を残す武勲をたてる」べく、
意気揚々とロシナンテにうちまたがってラ・マンチャをあとにします。

ここから先のドン・キホーテの冒険物語は皆さんがよくご存知だと思いますが、
ここで、舞台はガラリと変って、ラ・マンチャならぬ現代ニッポンの首都トーキョーの、
われらがドン・キホーテの物語に移ります。

新党ロシナンテにうちまたがった当代の遍歴の騎士がどなたかはすぐおわかりのことと
思います。あえていえば、少々アタマの軽いサンチョ・パンサこそが、当代の
ドン・キホーテに拍手を送るニッポン国民といったら皆さんは、お怒りになるでしょうか。
彼がサンチョ・パンサにくれてやろうといった島の名は、もしかするとセンカクだったの
かもしれません。

憂国の志に燃える当代のドン・キホーテの波乱の物語は、まだ始まったばかりです。
行く手に待ち構える巨大な風車や砂煙をあげる羊の大群は、日本国憲法か、
闇の力で支配する官僚機構か、はたまたアメリカ合衆国や中華人民共和国なのでしょうか。

わたしはこのたびの石原慎太郎氏の一連の言動に接して、まず、まっ先にラ・マンチャの
騎士ドン・キホーテの物語を思い浮かべました。そして、彼の決断になぜか心うたれたのです。
わたしは彼とはあらかた見解を異にする立場ですが、にもかかわらず、その思いに
相通じるものを感じたのは、ひとことでいえば、憂国の志というものです。

国家としての、あるいは国民としての主体的な存立が、今ほど危うい時はありません。
自立心が文学者としての感受性も含めて人一倍強い彼が、もはや都知事を
やっている場合じゃないという思いに駆りたてられたとしても不思議ではありません。

ラ・マンチャの騎士ドン・キホーテも「世の中の不正を取りのぞき、それを克服する」
ために、一刻も早く、と心急いだのです。石原慎太郎氏のやむにやまれぬ思いを
わたしは誠実に理解したいと思っています。

この国とアメリカ合衆国をめぐる現代史に常に鋭い洞察の光を当ててきた歴史家の
ジョン・ダワー氏は、10/30付朝日新聞のインタビューに、次のように語っています。

―――(イラク戦争など正義とは言い切れない戦争に)日本は常に米国に従い、
意見を言うことすらできなかった。これでは将来、米国が世界で始める戦争にも
日本は巻き込まれるでしょう。

―――日本は繁栄と引き換えに、身動きできなくなったのです。

広大な横田基地を米軍から東京都民の手に取り戻すという日本人としてはあまりにも
まっとおな石原都知事の提案ですら国家官僚の闇の力で葬られてしまいました。
この国に、正々堂々とアメリカ合衆国に「NO」と言える政治家がいない中では
彼はまさに貴重な存在なのです。

ここでわたしは、もう一方の、石原慎太郎氏とは対極に立つ、この国の知性を代表する
文学者大江健三郎氏についてもかたらなければなりません。

同じ憂国の思いでも、脱原発のデモに黙々と参加する大江健三郎氏の深い文学的感受性に
裏うちされた政治的発言にも、わたしたちは常に触発されてきました。
かつて、ある集会場の狭い控え室で、お互いに膝をつき合わせるようにしながら、
わたしのさし出すマイクロホンに、準々と物静かながら鋭い言葉で“ヒロシマ”について
語ってくれた大江氏の姿を今も忘れることができません。

思えば、同時代としての「われらの時代」は、わたしも含めて、このふたつの対極をなす
大きな知性の間を揺れ動いて生きてきたと言えるのではないでしょうか。
それは、政治と文学という葛藤を超えて、ひとりの人間としてどのように時代と向き合うか
という根源的な問いかけを含んでいます。

ふたつの知性が、それぞれの立場から自らの存在を賭けて時代に挑んでいるという、
その心情にわたしは胸が熱くなるのです。

ラ・マンチャの騎士ドン・キホーテが遍歴の後に故郷に戻り、その死の床で狂気から
目ざめたように、この国のあるべき姿にも、いつか明るい陽ざしが差しこんでくることを祈りつつ、
それはあるいはこのふたつの知性の大いなる和解の日であるのかもしれませんが、
しばらくは物語の続きを見つめて行くことにしたいと思います。



             (この項オワリ)


※文中の「」内は、岩波少年文庫牛島信明訳「ドン・キホーテ」より引用しました。


  copyright(c)ronpei.masui 2012

「子どものケンカと国のケンカ」 2012.08.25(土)

過日の「めまい」発症のメモを見て、友人の駒井クンから早速心配の電話が入りました。
当分の間、新聞を読むのも、テレビを見るのもおやめなさいという。ごもっともな
アドバイスです。勝手なお節介がストレスの原因と彼は見抜いていたようです。
そうなんだよな。

とすれば、テレビも見ない、新聞も読まない、当然ネットもやらないという人が
うんと増えれば、この国はもっとのどかになるのかもね。

というわけで、蛇足ながら、ニ、三追記して、この夏は、お開きとさせて頂きます。

夏休みもあと10日という暑い日に新潟で小、中学校の先生方250人の皆さんに
1時間半ばかり話をしてきました。

「大津事件」は避けて通れません。
原発事故と同様にいじめにもレベルがあると申し上げました。
  
【レベル1】は、お互いにふざけ合っている段階です。
【レベル2】になると、少しちょっかいを出します。フデ箱を隠したり
      下駄箱にいたずらしたりします。
【レベル3】になると、日常的に暴力をふるうようになります。
      もはや危険水域です。
【レベル4】は、さらにエスカレートして集団リンチの様相を呈してきます。
      ネットに「死ね」というコトバがとびかいます。
そして、【レベル5】は、メルトダウンです。死に至ります。

さらに困ったことに、原発事故と同様に放っておけば必ずエスカレートして
行くという現実があることです。

原発事故の場合は、メルトダウンを避けるために、ただちに冷却水を注入します。
いじめにおける冷却水は何か。だれが冷却水を注入するのか。それは先生しか
いないというところからお話を進めました。

「大津事件」が教育現場に与えた衝撃はふたつあります。
ひとつは、警察に被害届を出すという流れが出来たことです。
ストーカー殺人事件以来、被害届は迅速に処理することと警察も反省したのです。
一方で教育委員会も日教組も「教室」の中までは目が届かないということが
はっきりしたからです。

もうひとつの衝撃は、インターネットを通じて、あっという間に全国に伝わり、
社会問題化してしまうという「かつて経験したことのない」時代に突入している
という現実です。わたしは、「皆さんの教室が、日本中から見られている」
ということを少し意識した方がいいかもしれませんと申し上げました。

余談ですが、ロンドンオリンピックのメダリストのたったの20分間の銀座パレードに
50万人の人間が集ったというニュースは衝撃でした。
おそらく、この国のソシアル・ネットワークが、はじめて本格的な威力を見せつけた
「事件」といってもいいんじゃないでしょうか。

50万人というのは、ハンパじゃないよ。
もうひとつ余談ですが、今回のオリンピックでの日本選手の大活躍の背景には
3.11の東日本大震災があったとわたしは思っています。
水泳の北島選手も、卓球の福原愛ちゃんも、なでしこジャパンも、多くの選手が
被災地を励ますために頑張ってきました。そういう「バネ」が彼らを支えたと
わたしは思っているのです。

戻ります。

次は国のケンカです。
国のケンカは、当面、竹島と尖閣諸島です。
先日、無断で立ち入り禁止の尖閣の島に上陸して「補導」されたこの国のおっさんたちが
いました。
罪状は「軽犯罪法」違反だそうです。何だ!立小便とおんなじじゃないか。

武装した船を仕立てて竹島に乗りこみ、韓国軍と壮絶な銃撃戦を展開して、
アッパレ大和魂の心意気を見せつけたというような性根の持ち主は、
もはや、この国にはひとりもいないのです。
せいぜいが立小便のレベルでおしまいです。ま、これは大変結構なことで、
立小便のレベルであるうちに問題を解決しなければなりません。

前にもいいましたが、たとえどのようなゴリ押しであれ、ひとたび国家が
ここはわが国の領土であると宣言したら、これを二度と撤回することは
出来ないのです。同じ島をふたつの国がわが領土と宣言したら、
アトは力づくの勝負です。「国境紛争」というミニ戦争で結着を
つけるしかありません。

とりあえず、そこまでの道のりをまた原発事故のレベルで押さえてみましょう。

【レベル1】は、今やっていることです。
【レベル2】は、太平洋戦争の前夜と同じです。新聞もテレビも韓国は悪い、
      中国は悪い。弱味を見せるな、強硬に突っ張れの大合唱になって、
      国論が沸とうします。
      「立小便」のおっさんたちのように目が血走った連中がウヨウヨ
      現われます。
【レベル3】は、文化交流や経済交流の制限が進み、法人が現地から引き上げ始めます。
      同時に軍備拡張がすすみます。
【レベル4】は、ついに、国交断絶です。
【レベル5】は、メルトダウン。宣戦布告というお待ちかねの戦争です。

「国境紛争」は巨大な面積を持つ中国の得意技です。
今もロシアとやっています。韓国は、北朝鮮と臨戦体制を続けながら成長した戦時国家です。
どちらもやる気まんまんで待ち構えています。

もはや、のん気にテレビのお笑い番組を見ている場合じゃありません。

うーん、そろそろ冷却水を注入する必要があるのかなぁ。
国のケンカも原発事故と同様に、放っておけばますますエスカレートして行きます。

都知事さんやら国会議員さんやら「立小便」のおっさんたちやらに、
少しはアタマを冷やしなされ、と申し上げなければなりません。

同じことをあちらの国でもやって頂ければ、お互いにのんびりお笑い番組を
見てすごせるのです。

駒井クンが心配するので、もう、この辺にしておきましょう。いいよね。

――― さて、皆さん、どうなさいます?


             (この項、オワリ)




    copyright(c)ronpei.masui.2012

この夏は、すこぶる自虐的でござる。 2012.08.12(日)

2012年の夏は、「かつて経験したことのない」豪雨に始まって、命に関わる高温注意報が
連発されるという、とてつもない猛暑の夏になりました。
その上、節電か、原発再稼動かというお上の脅迫もあって、われらはエアコンの使用を
控え目に耐え忍び、汗をしたたらせながら、自虐的に我慢比べの夏を過ごしています。

せめてもの救いは、ロンドンオリンピックを舞台にした世界のアスリートたちの息詰まる熱戦を
日本選手の活躍を通じて目の当たりにしつつ、夏の甲子園大会で躍動する高校球児たちに
声援を送ることができたことでした。

共に、暑さを吹きとばす汗と涙と、そしてさわやかな笑顔がわたしたちに様々な感動を
残してくれました。

ただ、自虐的発想のクセがついたこの夏のおっさんとしては、洪水のようにたれ流される
テレビのオリンピック放送を眺めながら、どこもかしこもひたすらメダル熱に浮かされたように
ニッポンコールの絶叫アナウンスを繰り返す報道ぶりに、うーん、バカ騒ぎもここまで来たか、
と妙に感心いたしました。お笑いやら歌手やら、芸能人を総動員というエンターテイメント志向も
現代のテレビ風俗を象徴しています。

ひとり、気になる選手がいました。浜口京子さんです。格闘技のジャンルでは、日本人の体型に
合った軽量級では金メダルも可能ですが、少し体重のレベルが上になると、世界中に強敵が
次々と現われます。その中で闘うことの厳しさを彼女のために理解してやってほしいと思います。
彼女にとっては、大変、つらい大会になりました。でも、彼女に会ったら、こういってやりたい。
―――あなたは、浜口京子の時代を、立派に築いてきたじゃない。もう、それで十分ですよ。と。

メダル狂騒曲のテレビでは見向きもされなかった選手たちも、世界と闘うことによって、
貴重な収穫を得たはずです。その経験を、次に、あるいは、次の世代へ引きついでくれれば
それでよいのです。

今回のオリンピック放送は、節度を越えたバカ騒ぎだ。と、取りあえずひと刺しきめておいて、
でもまあ日本中が感動をありがとうとよろこんでいるんだから、これでいいのか、と
最後は例によって自虐的なひとりごとになってしまうおっさんでした。

これが竹島や尖閣諸島にまつわる報道にそのまま引きつがれることはないと思いますが、
ドンパチ始まったら、どうなるかわかりません。
「金メダルはエライ」が、そのまま「韓国はワルイ、中国はワルイ」につながらないように
用心しないといけません。
ニッポンコールの絶叫アナウンス。怖いよねぇ。

この夏、おっさんがもっとも自虐的発想にさいなまれたのは、このドサクサにまぎれたように
ドサクサと国会を通過した消費税の増税法案でした。

日本の財政赤字は、もはや待ったなし、このままでは国家経済が破綻してしまう、というのが
財務官僚がリークした天の声です。財務大臣として彼らと縁の深い野田、谷垣コンビが
政治生命を賭けてこの声に乗ったのです。財務官僚としては野田、谷垣がどうなろうと
知ったこっちゃありません。「実」をとればそれでよいのです。

この問題のキモは、「このままでは」というひと言につきます。
「このまま」各省庁の権益を維持し、官僚体制の温存をはかる限り、彼らに“食いもの”に
され続ける国家財政は破綻するしかないのです。つまり、国家財政を支える税金では
足りなくて、国債という借金の上積みに頼るしかなく、それも、もはや限界に来てしまった
というわけです。

この点は、官僚が国家を滅ぼしかけているギリシアに似ているといういい方ができるかも
しれません。

「このまま」を、このままじゃなくされるとヤバイから、早いとこ消費税を値上げして、
うまい具合にカバーしてしまいましょうというのが財務官僚の本音です。
その上、時の首相が政治生命を賭けてくれるなんて、なんて運がいいんでしょう。

ここでおっさんは、クソッ、という言葉をのみこんで、自虐的に現実を見つめることにしました。

「このまま」を変えるのは並大抵のことじゃないとすれば、それに手をつける政治家が
現われない限り、消費税で手を打つしかないのか。しょうがないよ。

オレオレ詐欺に何千万も提供できるじじばばが健在のうちにやるならやるか。仕方ないすよ。
これで、国論を二分して、ワイワイやるテーマがひとつ減って、大新聞もアタマを冷やす
余裕ができたか。いいんじゃないの。

おっさんの自虐的発想も、もはやきわまれりというしかありません。

実は、6月28日に近所の路上で突然「めまい」を発症して転倒し、顔面とヒザを
コンクリートに強打して、えらい目に会いました。
どうやら「良性頭位めまい症」という澤穂希さんと同じ病名と診断されましたが、
よく原因がわからない病気でまあ慣れるしかありませんと医者からもらったパンフレットには
書いてありました。無責任だよね。

今でも時折ふらっとなります。まことに奇妙な浮遊感で、その瞬間の記憶が一瞬途絶えて、
助けおこそうとしたKumiちゃんに、あんた、だれ?といったそうで面目丸つぶれです。

そんなこんなで、2012年の夏は、すこぶる自虐的と相なった次第でござる。

今、これを、秋田の山奥の離れの二階座敷で天然クーラーの涼しい山の風を浴びながら
書いています。

8月12日。あしたは田舎のお盆です。オリンピックも甲子園もまだ熱戦の途中です。
今回は、恩師久野収の「平和の論理と戦争の論理」を持参しました。
当然ながら、わたしのテーマでもあります。

「ロンペーは、何やってんだ!」とTBSの恩師小坂秀二からもいわれたことがあります。

真の平和とは何か、を鋭く追求した今はなきふたりの恩師の教えを引きつぐためにも、
いつまでも自虐的になっているわけには行きません。

―――理想と現実を折衷した理想主義的現実主義、あるいは現実主義的理想主義は、
かならずどちらかに傾いてしまう。

と久野収も警告しています。自虐的になったらオシマイよ、とハッパをかけられて
しまいました。蝉しぐれが、そうだ、そうだといっています。

                  (この項、オワリ)




    copyright(c)ronpei.masui.2012
プロフィール

ronpei

Author:ronpei
● 生年月日 
1939年(昭14)11月15日

● 血液型・星座  
A型・蠍座

● 出身地     
東京都江戸川区小岩町

● 出身校     
私立開成高校/学習院大学政経学部

● 経 歴     
1964年(昭39)4月 TBS入社
アナウンスセンター専任部長などを歴任

1999年(平11)12月 
(有)桝井論平事務所設立
フリーの立場でアナウンス活動を開始

おやじは日本橋、お袋は浅草の出というわけで、よきにつけ悪しきにつけチャキチャキの江戸っ子です。母校の江戸川区立小岩小学校は、今年の11月で創立120周年。高校では新聞づくり、大学では弁論部に熱中してワイワイやってました。TBS入社は東京オリンピックの年。同期のアナウンサーでは大沢悠里サン、一期先輩に鈴木史朗サンがいました。あとから久米宏や小島一慶、生島ヒロシが入ってくるわけです。



TBS入社以来、芸能畑のアナウンサーとしてテレビのリポーターやナレーター、ラジオのワイド番組のパーソナリティー、寄席番組、歌番組の司会などを担当しました。



● 主な担当番組  

・TBSラジオ(パーソナリティー)
「パックインミュージック」
「アクションタイム~見出しのヒーロー」
「ロンペーのお昼にしましょう」
「時遊人倶楽部」
「ロンペーのマイホーム一口メモ」

・TBSテレビ
「奥様8時半です」(リポーター)
「東をどり」(舞台中継)
「駅前図鑑」「あした発見」(ナレーター)
「まんがはじめて面白塾」(ナレーター)
「ビジネスズームアップ」(ナレーター)



ラジオの「パックインミュージック」はTBSの深夜放送としてひとつの時代を築いた番組です。永六輔サンやナチ・チャコ、北山修サンたちと深夜の開放空間をご一緒しました。 「アクションタイム」では、アノンシスト賞ラジオ番組部門での最優秀賞をいただきました。「時遊人倶楽部」は、当時新人の渡辺真理サンやイチロー夫人の福島弓子サンとコンビでやったなつかしい番組です。



入社した昭和39年は「木島則夫モーニングショー」というテレビ界で画期的な番組がスタートした年です。ワイドショー時代の幕開けでした。TBSのモーニングショー「奥様8時半です」では、定点観測の生中継を林家木久蔵サンと交替で担当しました。まだ駆け出しの時代です。

「東をどり」は毎年の新橋演舞場が楽しみな仕事です。美しくもあでやかな新橋芸者の心意気をまた来年もお伝えできたらと思っています。



自分のことをPRするのは苦手なので少々照れますが、時々講演もします。

・講演活動
「放送と市民生活~暮らしの中のラジオ・テレビ」

ワイドショーの歴史とその功罪についてやニュースショーのあり方、ニュースキャスター論など ラジオ・テレビをめぐる様々な問題についてお話します.
    
「人と楽しく付き合う話し方のコツ」

楽しい会話は人生を2倍にも3倍にも楽しくします。どうしたら、人と楽しく話が出来るようにな れるか。そんなコツがあるのでしょうか。セールスや接客に役立つ実用的なお話をします。

      


ナレーションでは、今、こういう時代ですから、ほのぼのと心暖まる語りの世界を大切にしたいと思っています。やれやれ、簡単なメモのつもりが長くなってしまいましたね。
また機会があったら、ゆっくりお話しましょう

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